ESOPONO FABVLAS.

 

ESOPONO FABVLAS.

447.
   Nezumino coto.                                                      20

  Qio<no nezumi inacaye vomomuitaga, sono to-
corono nezumino motode, Miyacono nazumiuo mo-

448.
tenasu cotoga caguiriga nacatta. Sate Qio<no nezu-
mi sono vonuo fo>jo>zurutote, do>do<xite Miyacoye
nobotta. Qio<no nezumino iyeua xoxidaino tachide
x(i)c(a)mo curano vchi nareba, xicchin ma~bo>, sonofoca yoi
saqe, yoisacana nandemo arecaxi toboxij cotoua fi-                05
totcumo no<te, xuyenno nacabani voyo>da toqi, cura
no yacuxa touo firaite qureba, Qio<no nezumiua
motocara suminaretaru tocoro gianiyotte, vaga sumi-
cauo yo> xitte, tayasu< cacuretaredomo, inacano nesu
miua annaiua xirazu, coco caxicouo niguemauatta-                  10
ga, toaru monono cagueni cacurete caraiinochiuo iqi
te sono nanuo nogareta. Sate sono yacuxa dete yu-
qeba, mata nezumidomo sanquai xite, inacano nezu
mini yu<yo<ua; sucoximo vodorococaxeraruruna: zai-
qio<no tocu toyu<ua: cono yo<na chinbut, bibutuo                   15
cu<te, tcuneni tanoximuzo: foxijmamani naniuomo
cauomo vomairiareto iyeba, inacano nezumiga yu<
ua: menmenua cono curano annaiuo yo> voxiriatta-
reba, samo aro<zu, vareraua cono tanoxi(m)imo sarani
nozomiga nai; soreuo najenito yu<ni, cono tachino fi-                20
tobito vonovonouo nicumuniyotte, yor(o)zzuno
vana, nezumitoriuo coxirayete voqi, amassaye sujip-
p(i)(q)ino necouo yaxinayeba, touoni yatcu, cocono-
tc(u) fodoua metbo>ni chicai: vareraua inacano mono-

449.
nareba; xijenmo fitoni yuqiayeba, vara acutano uaca(naca)
ni nigueitte cacururunimo cocoroyasuito yu<te, sumi
yacani itomagoi xite faxecudatta.

      Xitagocoro.

  Bo~buua qinin, co<qeno sobani chicazzuqu cotoua                     05
muyacugia: moxi sono cayerimiga naquua, t(a)chimachi
qini ch(i)gai, vazauaini auo<zureba, tada finracuniua xi
canu: sono xisaiua, finuo tanoximu mono ua focaniua
tanoximiua sucunaito iyedomo, xingiu<niua yorozzu
no tacarauo motcuniyotte, cocoroyasu< tanoximu                       10
cotoua qiuamari nai: nacanzzucu finni tomono< can
nin, fericudarino tacaravomotte cazarini suru mono
gia: xicaruni vtocuna monoua tcuneni cocoro mida-
re sauaide, qeo<man miuomo, cocorouomo, nayama-
sutoyu< cocoro gia.                                                                 15


エソポのハブラス1.06 (447.20--449.15)

ネズミのこと。

 京のネズミ 田舎へ赴いたが、その所のネズミのもとで、都のネズミをも/てなすことが限りがなかった。さて京のネズミその恩を報じょうずるとて、同道して都へ上った。京のネズミの家は所司代の館(たち)でしかも倉の内なれば、七珍萬寳(しっちんまんぽう)、その他 よい酒、よい肴なんでもあれかし乏しいことは一つも無(の)うて、酒宴のなかばに及うだ時、倉の役者 戸を開いて来れば、京のネズミはもとから住み慣れたる所ぢゃによって、我が棲家をよう知って、たやすう隠れたれども、田舎のネズミは案内は知らず、ここかしこを逃げ回ったが、とある物の陰に隠れて辛(から)い命を生きてその難を逃れた。さてその役者出て行けば、またネズミども参会して、田舎のネズミに言うようは、「少しも驚こかせらるるな、在京の徳というは、このような珍物、美物を食うて、常に楽しむぞ、ほしいままに何をもかをもお参りあれ」と言えば、田舎のネズミが言うは、「面々はこの倉の案内をようお知りあったれば、さもあろうず、我らはこの楽しみも更に望みがない、それをなぜにというに、この館(たち)の人々 各々を憎むによって、よろずの罠、鼠捕りをこしらえて置き、あまつさへ数十匹のネコを養えば、十(とを)に八つ、九つほどは滅亡に近い、我らは田舎の者/なれば、自然も人に行き逢えば、藁芥(わらあくた)の中に逃げ入って隠るるにも心安い」と言うて、速やかに暇乞いして馳せ下った。

    下心。

 凡夫(ぼんぶ)は貴人(きにん)、高家のそばに近づくことは無益(むやく)ぢゃ、もしその顧みがなくは、たちまち気に違い、災いに会わうずれば、ただ貧楽にはしかぬ、その仔細は、貧を楽しむ者は他には楽しみは少ないといえども、心中(しんぢゅう)にはよろずの宝を持つによって、心安う楽しむことは極まりない。なかんづく貧に伴う堪忍、へりくだりの宝を持って飾りにするものぢゃ。しかるに有徳(うとく)な者は常に心乱れ騒いで、驕慢 身をも、心をも、悩ますという心ぢゃ。


注:
448.14 vodorococaxeraruruna おどろこかせらるるな(驚こかせらるるな)
東洋文庫では、「驚かせらるるな」とする。
web版では、vodorococaxeraruruua 「をどろこかせらるるわ」とある。


・類話などについて

タウンゼント216.町のネズミと田舎のネズミ
 田舎のネズミが、御馳走を振る舞おうと、仲の良い町のネズミを招待した。二匹は土くれだった畑へ行き、麦の茎や、大根を引っこ抜いて食べていたのだが、町のネズミがこう言った。
「君のここでの暮らしぶりは、まるで蟻のようだ。それに引き換え僕の家は、豊饒で溢れているよ。あらゆる贅沢に囲まれているんだよ。ねえ、僕のところへ来ない? そうすれば珍しいものが腹一杯食べられるよ」
 田舎のネズミは二つ返事で承知すると、友と連れだって町へと向かった。家に着くと、町のネズミは、パンに大麦、豆に乾燥イチジク、蜂蜜、レーズン、そして極めつけに、籠から上質のチーズを取り出して、田舎のネズミの前に置いた。
 めくるめく御馳走を前に、田舎のネズミは、心のこもった言葉でお礼を述べた。そして、自分の暮らしが如何に惨めであるかを嘆いた。
 しかし、彼らが御馳走を食べようとしたその時、何者かが扉を開けた。ネズミたちはチューと鳴きながら、なんとか二匹が潜りこめる狭い穴をみつけると、一目散に逃げ込んだ。
 彼らが食事を再会しようとすると、また、別な誰かが入って来た。腹が減ってたまらなくなった田舎の鼠は、ついに友達にこう言った。
「こんなに素晴らしい御馳走を用意してもらったけど、これは、どうぞあなた一人でお召し上がり下さい。こんなに危険が多くては、とても楽しめません。私には、土くれだった畑で大根でも食べている方が性に合うのです。あそこならば、安全で怖いこともなく暮らせますからね」

Perry352 Chambry243 Babrius108 伊曽保2.18 Houston7 Charles48 La Fontaine1.9
日本昔話通観566 TMI.J211.2 Type112 (Ba)

日本昔話通観インデックス566 町の鼠と山の鼠
町の鼠が山の鼠に招待されるが、食い物がまずい、と町にもどる。山の鼠が町の鼠に招待されごちそうにあずかるが、猫に追いまわされ、平和な山がよい、と山にもどる。

この日本の昔話は、次のイソップ寓話集から出たものと思われる。

新訳伊蘇普物語 第二十六 家鼠と山鼠  絵 梶田半古 解説 上田万年 明治四十年発行 
 家鼠が、或時思い立つて山鼠の処え遊びに行きますと、山鼠の家わ、丁度樅(もみ)の木の下にあつて、掃除もなかなか行届(ゆきとど)いて居ました。山鼠わ、ソレお客さまと云うので、草の根やら木の芽やら、有たけの御馳走をしましたが、誰でも御馳走になる時わ、嫌いな物でも旨そうに食べるのが人情ですから、家鼠も折角の御馳走に悪い顔も出来ず、嬉しそうに食べてわ居るものの、何分(なにぶん)にも不味(まず)くて咽喉(のど)えわ通(とう)りません。それで常時(いつも)の半分も食べずに、漸(やツ)と其場を退(さが)り、翌日(あくるひ)山鼠を自分の家で御馳走する約束をして帰りました。



 この家鼠わ、始終穀倉(こめぐら)に栖(す)んで居るのですから、食物(たべもの)もなかなか贅沢です。ですから山鼠がまいりますと、早速(さつそく)玉蜀黍(とうもろこし)や小麦やパンの片(きれ)などを持出しまして、盛んに饗応(もてな)すのでした。山鼠わ、今迄見も知らぬ御馳走を並べられたので、唯もう銷魂(たま)げて、連(しきり)に感心して居ましたが、『此様(こん)な美事(みごと)な品々わ、一体何処(どこ)からお取寄(とりよ)せになりました』と尋ねて見たのです、すると家鼠わ為(し)たり顔で、是等の品わ、皆(み)な夫々(それぞれ)沢山に倉や台所に貯えてあるので、忍込(しのびこ)んで取つて来るのわ、何の造作(ぞうさ)もないことです、と言巧(ことばたく)みに話して聞(きか)せ、尚其上に、お互(たがい)に山などに住んで居るより、家のうちに住んで居る方が、迥(はる)かに幸(しあわせ)だと云うことをも話して居ますと、丁度其時ガサガサと藁を踏んで来る足音が聞(きこ)えたのです。サアそれを聞くと、家鼠わ急に顔の色が変つて、『お静かにお静かに』と言つて、息を殺して、小さくなつて居ました。処え何時(いつ)の間にやら、ノソノソ大(おうき)な猫が現(あらわ)れまして、『己の主人の倉え忍込(しのびこ)んで居る奴わ何者だ。』と喚(わめ)きました。
 其声が家中に響き渡つたものですから、山鼠が驚くまいことか、悚(すく)み上(あが)つて、『これが町に住むお前さんの幸(しあわせ)なら、其(それ)も可(い)いかも知らんが、私わまあ御免です。是よりか、貧しくとも気の置けない穴え潜(もぐ)つて、粗末でも安心な野菜を食べて居た方が余程(よほど)好(い)い。』

 訓言 知らぬ他人に依頼するよりわ、却つて己(おの)が貧しき生活に安(やす)んずるに如(し)かず。

 解説 現在の生活より、もつと好(い)い生活を為(し)ようと云うのわ、向上の精神から来るのですから強(あなが)ち悪いことでわありません。真面目に行(や)りさえすれば、却つて其が良(よ)いのですが、唯(ただ)妄(むやみ)に自分の境遇に不満を抱(いだ)くのわ、宜(よろ)しくありません。田舎の人が、派手な都会の生活を羨むなども、大抵わ浮いた心からなのです。

注意:パンは漢字

パンチャタントラ4巻 イヌのチトラング
 ある町にチトラングという名のイヌが住んでいた。ある時、飢饉のために皆は他の町へと集団で移住した。イヌのチトラングも、この町を離れる決心をして、別な町へと移住した。移り住んだ町の女たちは、怠け者ばかりだったので、チトラングは難なく食べ物にありつくことができた。チトラングは、家の中に入り込み、台所にあるご馳走で腹を満たしたのだ。こうして瞬く間に、彼は大変健康な身体になった。
 しかし、食べ物に関しては何の問題もなかったのだが、この町のイヌたちには、大変に悩まされた。他のイヌたちが、チトラングに噛みつくのだ。 そこで彼は、「たとえ食料がなくとも、自分の国ならば身は安全だ」と思い、早々に生まれ故郷の町へ帰ろうと決心した。
 チトラングが生まれ故郷へと帰ってくると、友人たちが異国での暮らし振りについてあれこれと尋ねた。
 そこでチトラングはこう答えた。
「食べ物は簡単に手に入るが、命の保障はない」

La Fontaine9.2 二羽の鳩  Krylov1.18,  J215.3 = Type232

Ernest Griset p375 移住したネズミたち
  ネズミは、ネコとネズミ捕りの恐怖に絶えず晒され、その国で暮らすのにうんざりして、近所の倉庫に住むネズミにこう言った。
「たった今、とても素晴らしいことを思いついたのですけど。数日前に、私が囓った本に書いてあったのですがね、インドと呼ばれる素晴らしい国があるそうです。そこに住むネズミたちは、ここのネズミよりもずうっと安全なんですって。その国の、賢人たちは、ネズミの魂は、王様や偉大な指導者や、崇高な聖者の魂であったのだと考え、そして、ネズミが死ぬと、その魂は、美しい女性や力のある実力者の体内に入るのだと信じられているのです。私の記憶が正しければ、これは、輪廻と呼ばれるものです。このような考えの下に、彼等は全ての動物を慈しみ、そしてネズミたちのために、保養所を建ててそこにお布施をするのです。そこでは、ネズミたちは、重要な地位にある人間たちのように、食べ物を与えられるのです。さあ、一緒にその素晴らしい習慣を持つ国へ急ぎましょう。そこでは、私たちの素晴らしさが正当に評価されているのですからね」
「でもね、お隣さん」隣人のネズミが言った。「保養所には、ネコは入ってこないのかしら? 彼等が輪廻するのならば、あっという間に、大変な数になるはずだわ。爪や歯が、僧侶や王様を作るというなら、そんな奇跡なんていらないわよ」
「そんな心配はいらないのよ」先のネズミが言った。「インドの諸国では、ネコは私たちと同じように素晴らし家を持っていて、病気の時は、私たちとは別の病院に入るのよ」
  二匹のネズミは話を終えると、その晩、長い航海に出る船に綱を伝わって乗り込んだ。
  船が出た。彼女たちは、ネコたちが圧制を布く過酷な地からどんどん離れて行くのを見て大変喜んだ。航海は楽しいものだった。そして彼女たちは、インド西部のスラートへと着いた。彼女たちは、金儲けをしようとする商人ではなく、ヒンズー教の慈善を受ける身であった。彼女たちは、ネズミのために建てられた家に入るとすぐに、最上の部屋を要求した。利に聡く、一匹は、前世はマラバルの海岸に住むバラモンであったことを懐かしむ振りをし、もう一匹は、同じ町に住む貴婦人であったという振りをした。しかし、余りにも厚かましい言い草に、インドのネズミたちの堪忍袋の緒が切れた。そして戦いが始まった。戒律を利用して、他の者たちを出し抜こうとした、二匹の新参者は、寝場所を与えられることはなかった。彼女たちは、ネコに食われる代わりに、同じネズミに絞め殺されたのだ。
   この事から分かるように、安全を求めて遠くへ出かけて行っても無駄であるのは明らかである。そんなことをするのは、思慮分別のない者であり、危険に飛び込むだけである。思慮分別がある者は、家で安全に暮らすものである。

Ernest Griset p287 鼠たちとねずみ取り

  昔々のこと、鼠たちは、とても小さな部屋に焼きベーコンが吊されているのを見つけた。その部屋のドアは、開け放たれており、食い意地の張った連中を魅了した。しかし、その中の二・三匹は、その部屋には、扉が入り口の一カ所しかない。つまりは、出口も一カ所しかないというおかしな点に気付いた。もし、その扉が運悪くもしくは、何らかの仕掛けによって、閉ざされたら、皆決して抜け出すことができなくなるということに気付いたのだ。彼らは、少しの贅沢品のために、囚われの身になったり、殺されたりするよりも、十分にある家庭料理に満足した方がよいと言って、中に入ろうとはしなかった。
 一方、その他の鼠たちは、危険など全く見あたらないと言い、部屋の中へ駆け込むと、とても美味そうなベーコンを食べ始めた。しかし、すぐに彼らはドアが閉じる音を耳にした。そして一網打尽にされたのを知ったのだった。彼らは近づいてくる死の恐怖に打ち震え、素晴らしいご馳走を味わうことなどできなかった。すぐに、ねずみ取りを仕掛けた料理人がやって来て彼らを殺した。しかし、いつもの自分たちの食事に満足した鼠たちは、自分たちの穴の中に逃げ込み、命を長らえた。


参照 童蒙教草2.12ハ『御殿の鼠と田舎の鼠の事』

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