ESOPONO FABVLAS.

 

ESOPONO FABVLAS.

472.
      Daicaito, yajinno coto.                              04

  Arutoqi yajin caifenni dete, vmino midorino nago
yacanauo mireba, amatano quaixenga figaxicara nixi
ni yuqumo ar(i), camomeno isagoni ynuo qizamumo
ari, yeni caqutomo, fudenimo voyobanu qeiqini jo>
jite, cocoroni vomo> yo<ua: satemo vareraga vaza fo-
do monovy cotoua arumajii: sanyauo iyenixi, de~     10
bacuni axeuo nagaxi, co>riuo tagayexi, ameuo vyu
rucotoua cayo<no reo>qenuo vaqi(m)ayenu yuye gia.
Tadaimacar(a) yxxeqiuo coqiacu xite, funeno vyeno
aqinaiuo suruniua xiqumajijto vomo>te, no>gu, v-
xi, vmauo vtte, sono satono cuxigaqiuo caitotte,      15
minatoni cudatte, tocaino binxenuo yete, mucai
no cunini vataru tocorode, niuacani taifu<ga fuite qite
funeuo cutcugayeso<to sureba, xenchu<no nimotuo
cotogotocu torisutete, yo<yo< carai inochi bacariuo
iqete cayetta. Xibaracu xite nami cajemo faya voda-   20
yacani nari, caixo<mo yu<yu<to xitauo mite, vmini
muco(<)te x(i)catte yu<ua: icani daicai yo> qiqe, arufo-
dono cuxigaqiua mina nangini atayetcu, mata saqino
gotoqu vadacamatte miuo tabacarutomo, futatabi

473.
cuxigaqiuoba curauasurucotoua arumaji zoto.

      Xitagocoro.

  Xoxocu tomoni xinro<no arucotouo mada xira-
nu monoua, vaga vaza bacari curuxiu<de, fitoua xin-
ro<no naicato vrayami, ataraxij michiuo xo>to suru-          05
niyotte, yjenno xinro< yorimo nauo vo>qina cuguen
ni vo<te miuo xiru mono gia.


エソポのハブラス2.04 (472.04--473.07)

大海(だいかい)と、野人のこと。

 ある時 野人 海辺(かいへん)に出て、海のみどりの和やかなを見れば、あまたの廻船が東から西に行くもあり、カモメの砂(いさご)に印(いん)を刻むもあり、絵に書くとも、筆にも及ばぬ景気に乗じて、心に思うようは、「さても我らが業(わざ)ほど物憂いことはあるまじい、山野を家にし、田畠(でんばく)に汗を流し、氷(こうり)を耕(たがえ)し、雨を植ゆることは かようの了見をわきまえぬ故ぢゃ。ただいまから一跡(いっせき)を沽却(こきゃく)して、船の上の商いをするにはしくまじい」と思うて、農具、ウシ、ウマを売って、その里の串柿を買い取って、港に下って、渡海(とかい)の便船を得て、向かいの国に渡るところで、俄かに大風(たいふう)が吹いてきて船を覆そうとすれば、船中の荷物をことごとく取り捨てて、ようよう辛い命ばかりを生けて帰った。しばらくして波風も はや穏やかになり、海上(かいしょう)もゆうゆうとしたを見て、海に向こうて叱って言うは、「いかに大海 よう聞け、あるほどの串柿は皆 汝に与えつ、また前(さき)の如くわだかまって身をたばかるとも、再び/串柿をば食らわすることはあるまじぞ」と。

    下心。

 諸職(しょしょく)ともに辛労のあることをまだ知らぬ者は、我が業ばかり苦しゅうで、人は辛労のないかと羨み、新しい道をしょうとするによって、以前の辛労よりもなお大きな苦艱(くげん)に逢(お)うて身を知るものぢゃ。


注:
472.11-12 vyurucotoua うゆることは (植ゆることは)
東洋文庫には、「植ゆることは、」と「、」を認めている。



・類話などについて

タウンゼント 106.ヒツジ飼と海

 海の近くで、ヒツジの世話をしていたヒツジ飼が、とても穏やかで平らかなる海を見て、船で交易をして一旗揚げようと思い立った。
 彼は、ヒツジの群を全部売り飛ばし、ナツメ椰子をいっぱいに詰め込んで、船出していった。
ところが、海に乗り出した途端、嵐が巻き起こった。彼は、積み荷を全て海へ放り出し、船を空にして、かろうじて沈没を免れた。
 それから間もなくして、ある男が穏やかで静かな海を見ていた。するとヒツジ飼がこんな風に彼に言った。
「騙されてはいけないよ。そいつは、また、ナツメ椰子が欲しくなったのさ・・・・・・」

Perry207 Chambry311 La Fontaine4.2 Krylov6.15 TMI.J11 (Aesop)

タウンゼント 298.難破した男と海

 船が難破して、男は、波に翻弄され、浜辺へ打ち上げられると深い眠りに落ちた。しばらくして男は目を覚ますと、海を見つめさんざんに罵った。お前は、穏やかな表情で人々を誘い込み、我々が海に乗り出すと、荒れ狂って皆を破滅させる。と、論難したのだ。
 すると、海が女性の姿となって、彼にこう言った。
「私を咎め立てしないで、風を責めて下さい。私は、穏やかなのです。そして、大地と同様に急変したりしないのが本来の姿なのです。でも、突然吹き付ける風が、波立たせ、そして私を暴れさせるのです。

Pe168 Cha245  Ba71 Krylov6.10 TMI.J1891.3 (Aesop)


         INDEX  BACK  NEXT
 
                    著作権はhanamaが有します。   


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送