ESOPONO FABVLAS.

 

ESOPONO FABVLAS.

463

        Farato, xixi rocconno coto.                              08

  Guen ni bi jetno yotcuuo saqito xite, xusocu vono
vono ychimi xite, faratoyu< iyaxijbuto<jin sonomiua      10
nanno vazamo nasaide, varerauo gueninno yo<ni tcu-
cai, vonoreua xucunno fujeiuo nasucoto chicagoro
ro<jeqi xenban gia: xoxen imayori farani fo>co> suma
jijto guigio< xita. Sonotoqifaraga yu<ua: vonovono
no vo>xeua mottomo vodo<ri gia: saredomo vre yo>     15
xo>yori sucoxino vazauo xita cotomonai: fitoyeni
gomenuo co<mureto vaburedomo, vonovono iqi-
douori fuco< xite, nisanganichiua sucoxino cotomo
xeide farauo itameo>tono fio<guini sunde, ficazuuofe
ru fodoni, xidaini xixi rocconua youarifate, xindai            20
coconi qiuamatta. Sonotoqi vonovono guio<ten
xite, imacoso vomoi atattare: xixirocconno fatara-
qiua fitoyeni farano chicarani yotteno cotozo: sara-
ba farani conbo< xeyotote, mayemayeno gotoqu            24

464.
fo>co>ni yudan arumaito yu<te, sucoximo vocotarino<
tcucayeta.

        Xitagocoro.

  So>jite guero< no<te, jo<ro<mo naqu, muno<na mono
ga no<teua, no>jano tatcucotomo nai.                           05


エソポのハブラス1.21 (463.08--464.05)

腹と、四肢六根のこと。

 眼耳鼻舌(げんにびぜつ)の四つを先として、手足(しゅそく)各々一味して、「腹という卑しい武道人(ぶとうじん)その身はなんの業(わざ)も為なさいで、我らを下人(げにん)のように使い、おのれは主君の風情を為すこと近頃狼藉千万ぢゃ、所詮今より腹に奉公すまじい」と議定した。その時腹が言うは、「各々の仰せはもっともお道理ぢゃ、されども我 幼少より少しの業をしたこともない。ひとえに御免を蒙れ」と詫ぶれども、各々憤り深うして、二三が日は少しのこともせいで腹を痛みょうとの評議にすんで、日数(ひかず)を経るほどに、次第に四肢六根は弱り果て、進退(しんだい)ここに窮まった。その時各々仰天して、「今こそ思い当たったれ、四肢六根の働きはひとえに腹の力によってのことぞ、さらば腹に懇望(こんぼう)せよ」とて、「前々の如く/奉公に油断あるまい」と言うて、少しも怠り無う仕えた。

    下心。

 そうじて下臈(げろう)無うて、上臈も無く、無能な者が無うては、能者の立つこともない。



・類話などについて

タウンゼント 70.腹とその他の部分

 ある日のこと、手と足と口と目が、腹に反旗を翻してこう言った。
「君はいつもなにもしないで怠けてばかり、……贅沢三昧、好き放題!……我々は、君の為に働くのは、もう、うんざりだ……!」
 身体の各部分たちは、このように、日頃の鬱憤をぶちまけると、それ以後、腹の助けをするのを拒んだ。しかし、すぐに、身体全体がやせ衰えていった。

 手と足と口と目は自分たちの愚かさを後悔したが、時すでに遅かった。

Perry130 Chambry159 Caxton3.16  伊曽保2.36 Hou29 La Fontaine3.2 J.index1175
TMI. J461.1,  A1391  Type 293, 716*(Aesop)

Shakespeare: Coriolanus, Act 1, Scene 1


グリム KHM180 エバのふぞろいの子どもたち

・・・さながら一つのからだにおける手足のごとく、みなのものが一様にやしなわれるには、めいめいが、それぞれの階級に立たねばならぬのじゃ」

パンチャタントラ5.97
羞恥心、愛情、清らかな音声、知性、精神的充足、生命力、性愛、朗誦の完成、苦の滅、娯楽、道徳、学問、神々の師のような叡知、清さ、作法の考察。
それらのことも、腹という壷が穀物で満ち足りてこそ意義があるというものだ

落語 胴取り

前振り

足「オオ手」
手「なんだ足」
足「上へあがってちょっと腕組みでもしてくれやい、どうもウンと歩いてきたんで、カッタルくってしようがねえ」
手「仕方がねえやな、おまえが足なんてえ下等なものに生まれついたから悪いんだ、それがつらいと思ったら、今度の世にはもっとどうにかしたものに生まれ変わって来い」
足「そんな意地の悪いことを言わねえで、上へあがってちっと俺にも休ましてくれ」
手「なにを生意気なことを言やァがるんだ、マゴマゴしやァがるとこれだぞ」
 ポカリ……。
足「オオ痛え、うぬなぐりやがったな」
手「手が足をなぐるにふしぎはねえや」
足「おぼえてやがれ、敵討(かたきう)ちをするから」
手「フン足のくせに敵討ちができるかい」
足「今におもてへ出て犬のくそをふんづけて、てめえに拭かしてやる」

 なるほどこれは手が拭かなければなりません、犬のくそで敵討ちをするというのは、これから始まったというが、あんまり当てになりません。
 胴切りになった者が、足と身体と別々に奉公に行ったというお話がございます。
.・・・・・・・・・・・・
・先導者について

Ernest Griset p195 蛇の尻尾

  ある日のこと、蛇の尻尾が頭に背いて、「あらゆる動物で行われていることだが、いつでも片方の末尾が行く先を決め、否が応でも、もう一方を引っ張って行くというのは、大いなる誤りである」と言った。頭は、尻尾には脳味噌も目もないので、他を導くことなどどうしたってできっこないと説得したが無駄であった。頭は尻尾のしつこさにうんざりして、ある日の事、舵取りを尻尾に任せることにした。こうして蛇は長いこと後ろ向きに歩くこととなった。尻尾は意気揚々と進んで行った。そして高い断崖の縁へとやって来ると、頭もろとも宙を舞った。そして、両者共に下の岸辺に激しく打ちつけられた。
  その後、頭は、尻尾に先頭に立ちたいと言われて、うんざりさせられることは二度となかった。

Perry362 Chambry288 La Fontaine7.16 TMI.J461.1.1.

旧約聖書申命記28.43

あなたの中に寄留する者は徐々にあなたをしのぐようになり、あなたは次第に低落する。彼があなたに貸すことはあっても、あなたが彼に貸すことはない。彼はあなたの頭となり、あなたはその尾となる。


Ernest Griset p306 驢馬と庭師

驢馬が尻尾を失った。それで大変な苦痛を味わい、彼は尻尾を探し回った。そして牧場と菜園を通り抜けた。しかし、庭師が彼を見ると、彼が畑を踏み荒らし、野菜を食いに来たのだと思い、激しく憤り、驢馬に駆け寄ると、刈り込み用のナイフで彼の両耳を切り取った。こうして、尻尾を失ったことを嘆いた驢馬は、両耳を失ったことを知って、この上もなく驚いた。このように、誰であれ、先導者としての分別を持たぬ者は、道に迷いとんだ目にあうものだ。

ペリー 321 川を渡る駱駝 中務哲郎訳 岩波文庫

 瘤ある駱駝が流れの速い川を渡りながら、糞をたれた。そいつが自分より前を流れ行くのを見て言うには、
「俺も落ちぶれたものだ。後のものに先を越された」

Chmbry144 Babrius40 (Ba)

水戸黄門  あゝ人生に涙あり 作詞: 山上路夫

 人生楽ありゃ 苦もあるさ
涙のあとには 虹も出る
歩いてゆくんだ しっかりと
自分の道を ふみしめて

人生勇気が 必要だ
くじけりゃ誰かが 先に行く
あとから来たのに 追い越され
泣くのがいやなら さあ歩け


クルイロフ寓話集 8.12 大砲と帆  内海周平訳 岩波文庫

 軍艦で大砲と帆のあいだに激しい敵意が生じた。そのうちに、大砲が砲門から鼻を突き出して、天に向かって不平を言った。
 「おお、神よ! たかが帆の分際で、われわれとどっちが役に立っているかを比べるなんて厚かましいことがあるでしょうか? われわれが難儀な航海をつづけているあいだ、やつらは何をしていますか? 風が吹き始めたとたんに、やつらはまるで高い位についたように、偉そうに胸を張り、ふんぞり返って大洋を走り、もったいぶっているだけです。ところが、戦闘になって敵を撃滅するのはわれわれです!  海上で軍艦がわがもの顔に振舞えるのは、われわれのおかげではないでしょうか? いたるところに死と恐怖を運ぶのはわれわれではないでしょうか? それにしても、これ以上帆と一緒に暮らしたくはありません。やつらがいなくても、われわれは自分で何もかもやっていけます。力強い北風神(ボレアース)よ、飛んで来てわれわれを助け、一刻も早くやつらをずたずたに引き裂いてくれ!」
 北風神は願いを聞き入れ、飛んで来て吹き始め、やがて海は黒雲におおわれて暗くなった。空は重く垂れ込めた雨雲におおわれた。山のような波が巻き起こり、崩れて行く。雷鳴は耳をつんざき、稲妻は目をくらませる。北風はうなり声をあげ、帆をずたずたに引き裂く。帆はなくなり、嵐は静まった。しかし、どうなったか? 帆を失った軍艦は風と波に翻弄され、丸太のように海にただよっている。そして、はじめて敵に遭遇したとき、敵は両舷からはげしい砲撃を加えてきた。わが軍艦は動きがとれなくなり、まもなく穴だらけになって、大砲もろとも金槌のように海底に沈んだ。

Laura Gibbs 345 目と蜂蜜 (Dio Chrysostom, Orations 33)

 イソップはこう言った。「目は、自分たちが身体の中で一番価値のある者と考えていたので、口があらゆる楽しみを味わい、中でも世の中で最も甘い蜂蜜を食べるのを見て・・・・そのために苦しむことになった」
 目たちは悲憤慷慨して、人に不満を言い募った。そこで、人は目に蜂蜜を食わせた。すると突き刺すような激痛に涙を流してのた打ち回り、蜂蜜とは苦くて不快なものだと考えるようになった。
Perry461

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