ESOPONO FABVLAS.
457.
Faito, arino coto. 14
Aru fai arini catatte yu<ua: tcuratcura monouo an-
zuruni, xejo<ni quafo>no imijij monoto yu<ua suna-
uachi vareraga cotode aro<zu; fuxo> xagocuna arido
moua nacanaca faxitatetemo voyobu majijzo: sore
uo najenito yu<ni, tenxi xo<gunni sasaguru monoto
iyedomo, mazzu varera sono yjenni foxijmamani cu<, 20
xicanominarazu cami ychininyori, ximo banminno
zzujo<uo fumuni vosoremono<, nantaru yoi saqe, mez
zuraxij sacanato yu<temo, izzureca vareraga teuo
caqenuuo xocusuru fitono aru? Izzureno fitono ca-
458.
xiraca vareraga fumimononi nar(a)nuga arucato ji-
ma~ sureba, arino yu<ua: faidonono vo>xe fitotcutoxite
itcuuariua vori(n)a(i): tadaxi xejo<ni sata itaitaua, faifodo
biro>na monoua vorinai: teno voyobi, chicarano vo-
yobu fodoua, chu<bat xo>to aitacumaruru : sareba va- 05
rerauo iyaximesaxeraruredomo, faru sugui, natcu ta-
qte, aqimo cure, fuyuga qureba: tcubasamo chini vo-
chi, chicaramo tcuqiyumino fiqitaterareo> tayo-
rimo no<te cogoyete cabaneuo sarasaruruua, mata yo
ni taguymo nai asamaxij guigia: monono cazude- 10
ua naqeredomo, vareraga ychimonua icani faguexij
fuyuto yu<temo, qicatni xemeraruru curuximimo
naxi: faru natcu miraino cacugouo sureba, aqifuyu
ua yutacani fiuo vocuruto iyeba, faiua yjenno quo<-
guenuo tachimachi fiqicayete, vomevometo xite ta- 15
chisatta.
Xitagocoro.
To<zano yxeini vogoru monoua yraino nanguini
tcumazzuco<zu: vareto miuo vo>qini fomuru mono
ua mada sono cotobamo finu vchini, menbocuuo 20
vxino<mono gia.
エソポのハブラス1.16 (457.14--458.21)
ハイと、アリのこと。
あるハイ アリに語って言うは、「つらつら物を案ずるに、世上に果報のいみじい者というは即ち我らがことであろうず。不肖至極なアリどもはなかなかはしたてても及ぶまじいぞ、それを何故にと言うに、天子将軍に捧ぐるものといえども、まづ我らその以前にほしいままに食う、しかのみならず上一人(かみいちにん)より、下(しも)万民の頭上を踏むに恐れも無う、何たる善い酒、珍しい肴というても、何れか我らが手を掛けぬを食する人のある? 何れの人の/頭(かしら)か我らが踏み物にならぬがあるか」と自慢すれば、アリの言うは、「ハイ殿の仰せ一つとして偽りはおりない、但し世上に沙汰致いたは、ハイほど尾籠な者はおりない、手の及び、力の及ぶほどは、誅罰しょうとあいたくまるる、されば我らを卑しめさせらるれども、春過ぎ、夏たけて、秋も暮れ、冬が来れば、翼も地に落ち、力も尽き弓の引き立てらりょう頼りも無うて凍えて屍を曝さるるは、また世に類(たぐい)も無い浅ましい儀ぢゃ、ものの数ではなけれども、我らが一門はいかに烈しい冬というても、飢渇に責めらるる苦しみも無し、春夏未来の覚悟をすれば、秋冬は豊かに日を送る」と言えば、ハイは以前の広言をたちまち引き換えて、おめおめとして立ち去った。
下心。
当座の威勢に驕る者は以来の難儀に躓こうず、我と身を大きに誉むる者はまだその言葉も干ぬ内に、面目を失うものぢゃ。
注:
457.17 xagocuna しゃごくな → xigocuna しごくな(至極な)
457.18 faxitatetemo voyobu majijzo はしたててもおよぶまじいぞ
岩波文庫には、「走られても及ぶまじいぞ」とある。
458.08 chicaramo tcuqiyumino fiqitaterareo> tayo-
rimo no<te ちからもつきゆみのひきたてらりょうたよりもなうて
東洋文庫によれば、「力も尽き」を「槻弓」に掛け、「弓」を「引き立て」に掛けてあるとのことである。
458.11 ua naqeredomo, web版では、na naqeredomo.とある。
・類話などについて
L’Estrange34 蟻と蝿
ある時、蟻と蝿が激しい言い争いをした。
「世界中いたる所を楽しむ特権を私は有しているのです」蝿が言った。「寺院などあらゆる建物の扉は私のために開いています。私は神に捧げられた生贄や王の宴会の料理を全て味見するのです。私が金や銀も思いのまま、その上肉や酒は最上で、しかも、金は一銭も払う必要はない。王冠を踏みつけ、私の気に入った婦人の唇に口づけするのです。この中で君に叶うことがありますか?」
「なんていうことでしょう」蟻が言った。「あなたは、神々の祭壇やお姫様方の戸棚や、饗宴だろうと軽食だろうとあらゆる所へ出入りできると自慢しているようですが、あなたはお客ではなく、単に侵入しているだけではないのですか? 人々はあなたのような者を大いに疎み、あなた方を捕まえたらすぐさま殺すのではありませんか。あなたは、彼らにとって、疫病神以外の何者でもありません。あなたの息は蛆をはらみます。あなたはキスのことを自慢しますが、この臭いは何でしょう。まさか、糞の山に触って持ち帰ったわけではないでしょうね。私は、誰の厄介にもならずに暮らしています。そして、冬のことを思って、夏一生懸命働きます。それに対して恥ずべきあなたの人生は、不正を働いて騙すばかりで、半年もすれば、飢えて死ぬかどうかするしかないのです」
教訓: 労働と贅沢についての話が象徴的に描かれています。そして全うな暮らしの素晴らしさと、恥ずべき堕落した生活をする者について語られているのです。
Pe521 Pha4.25 Ste37 Cax2.17 エソポ1.16 伊曽保2.28
Laf4.3 Type280A(Formerly249)=TMI.J711.1, J2426.6
参照リンク 童蒙教草4.25イ『蜜蜂と黄蜂の事 寓言』
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