伊曽保物語 翻刻と類話

第二 荷物を持つ事

 ある時、シャント旅行におもむかせ給うに、下人どもに荷物を宛ておこなう。我も我もと(か ろ)き荷物を争い取りてこれを持つ。ここに食物(じ きもつ)を入れたるも のありけり。その重きに恐れてこれを持つ者なし。「さらば」とて、イソホ()す に及ばず、「何事も殿の御奉公ならば」とて、これを持つ。その日の重 荷、「イソホに過ぎたる者なし」と皆人言いけり。
 日数(ひかず)経て行くほどに、この食 物(じきもつ)を常に(も ち)ゆ、(かるがゆえ)に、 日に添えて(かろ)くなりけり。果てには、いと(か る)き荷物持ちてけり。「天晴れ賢き心宛てかな」とて、そねみ給う人々ありけり。
(古活字上03.21〜上04.10) (万治上04.06〜上04.15) (エソポ004)


註: そねみ給う人々ありけり。
古活字版や万治版の国字本では、「イソホの賢さを仲間の者たちが嫉妬している」ことになっているが、天草版では、「主人をはじめて朋輩(ほうばい)も、 エソポが分別(ふんべつ)のところを、(み な)()め たと申す。」となっている。
 両者の違いは、「柿の吐却の話」との関連によるものと思われる。国字本では、この話の次に「柿を吐却する事」が来るので、その伏線として、「イソホは、 仲間の者たちに、あまりよく思われていない」ということを示したかったのだろう。一方、天草版では、「柿の吐却の話」は、この話の前にあるので、イソホは 既に知者として皆に認められている。ということが前提となっている。

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